Reports レポート

ニフティクリエイティブデザイン部の部員が参加した、「セミナー」や「展示会」のレポートです。

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担当- 三瓶 香奈

日付- 2012年10月09日

[被災地支援団体aoSORAnt]フレンチマニアの挑戦

※インタビュー内容は2012年3月時点のものです。団体名と代表者について変更があったため手を加えています。

クリエイティブデザイン部のディレクター、サンペイ(本名)です。
東日本に起こったあの震災から1年半が経ちました。
今回は震災支援を行う団体 aoSORAntと、そこに情熱をそそぐ人物 AOのロングインタビューをお届けします。

写真提供:被災地支援団体 aoSORAnt


現地の幼稚園で作ってもらった看板。いまでも大事に使っているそうです。

はじめに

2011.3.11の大震災。
「助けたい」と強く願う気持ちを私たちは持っていた。
今も持っている?あのときと同じ気持ちを思い出せる?

誰もが言葉を失い画面に釘付けになった。日本中、世界中の意識は被災地に集中していた。テレビに映る惨状。こんな姿からどうやって元に戻れるんだろう。私にはうまく想像できなかった。被災地の人々が直面させられた、昨日までとあまりに変わってしまった現実。失われた多くの命。沿岸部の人たちから生活基盤がまるごと消えた。たくさんの人生を変えた2:46pm。

震災をきっかけにボランティアの意義や意味を考える機会も増え、募金など金銭援助することの心理ハードルも下がった。「誰かを応援する」という社会貢献の意識は必然的に日本人のマインドに浸透したように感じる。

でも、私たちはとても飽きっぽくてさめやすい。

ボランティア団体への募金も2011年の秋頃には、ぱったり激減したという。

震災時にあれほど被災地へ皆が心を寄せていても、どうしたって私たちはたやすく自分の日常へ引き戻されてしまう。
誰もが自分の暮らしを持っている。ふと気づいたら被災地への関心がなくなっていることはあっても、当事者の状況がふと気づけば元通り、なんてことは起こりえない。突然の不平等。奪われた日常と重い現実。

それでも生きているかぎり人生を全うしなければならない。


震災から約3カ月後。がれきの積まれた道路。

インタビュー・キーワード

・炊き出しから娯楽へ
・仮設住宅のコミュニティ形成
・一次産業の復活
・継続的資金調達
・お金とピュアネス
・清廉潔白、公明正大
・10年先まで支援
・レストラン人脈をいかす
・シェフの体力精神力はアスリート並み

AOさん

そんじょそこらの食べ歩き人では到底かなわぬ"フレンチマニア"。
それが震災前のAOさんの印象だった。

親愛をこめて「フレンチオタクAO」と呼んでいる友人が今回のインタビュー相手である。店に通って食べて会話して築き上げたシェフやソムリエたちとの信頼コネクションは毎度「さすが」と思わざるを得ない。東京のみならず関西など他地方のフレンチ名店にも突撃、もちろん本場も怠りなく巡回。年に数回パリで舌を磨いて現地のリアル情報をチェックする情熱の持ち主。フレンチへの愛情はもはや偏愛レベル。本業は教育関係、飲食全く関係なし。

彼は3.11の震災をきっかけに被災地支援ボランティア団体を立ち上げた。立ち上げ当時の名前は「東北関東大震災ボランティア 美味しい食べもの届け隊」だ。事務局長をつとめている。

※注 現在、団体は「被災地支援団体 aoSORAnt(あおぞらん)」に改称、AOさんが代表を務めている。

どこまでもひたむきに、真摯に、まっすぐ正面からAOさんは活動に取り組む。この1年、本業をこなしながらどれだけの時間と精神力をボランティア活動に使ったことか。なんと密度の濃い時間を過ごしてきたことか。私は友人のひとりとしてその姿をずっと見てきた。そろそろちゃんと聞いてみたいと思ってインタビューを申し出た。

被災地支援団体aoSORAnt

第1回目、2011.5.15

2011年4月、震災から1カ月が経ったとある夜のこと。
まだ余震も多くて皆が不安と現実のはざまで恐る恐る生活する日々だった。日本中が自重ムードに包まれており、外食産業、なかでも高級店は敬遠ムードが色濃く、苦しい営業状況であった。その雰囲気を察して、普段より食べ歩く回数を増やして懇意の店を助けるAOさん。この日は南青山にある「レフェルヴェソンス」で、某レストラングループのマネージャー、藤巻さん(のち団体代表に就任)と食事をしていた。

食事が終わり、店からの帰り道。
AOさんは震災からずっと心を占めている願いを語った。
「被害を受けた土地を支援したいんです。藤巻さん、一緒にやりませんか」
藤巻さんは即座に賛同してくれた。

翌5月。
被災地へ炊き出しに行く団体に初めて同行してみた。行った場所は被害の大きいエリアではなく、AOさんはいろいろな都合にからめとられた「支援」のかたちを目にした。詳しいことは述べられないのだが、とても残念なことに、そこにあったのは自分たちの理想と違う姿だった。

これは自分がしたいこととは違う。ならば、自分たちで立ち上げよう。AOさんたちは決意した。

そのわずか1週間後の深夜。
バンに炊き出しの食材と器具をぎゅうぎゅうにつめこみ、 AOさん、藤巻さんたち4人は宮城県石巻市の中学校へ向かった。
自分たち「食」を愛する人間ができること=炊き出し、やれることを決断した。全員の行動はスピーディーだった。

被災地に近づいていくと車の中から次々と見えた廃墟、ごみの山、がれき、たくさんの破壊されたものたち。
ほこりっぽく、寒い、臭い。とにかく沿岸部は臭かった。
何が腐ってるのかなんて考えたくない。AOさんは思い返しながら語ってくれた。

背の高い木の上のほうにある枝にひっかかった布切れやゴミが印象に残る。
あんな高さまで水がきたということか、と車の振動に身をまかせながら想像をめぐらせる。
車は目的地を目指してAOさんたちを運んで行く。

朝は冷たいおにぎり、昼は冷たいパン、夜は冷たいお弁当、ローテーションを2カ月も繰り返していた被災地の人々。
このときは200人の避難者へ、温かいおでんの炊き出しを行った。皆に手作りのぬくもりと、あたたかさを込めた食事の器を渡すと、とても喜んでもらえた。

そして、炊き出しを無事に終えた帰りの車内。
重い空気が流れていた。あまりのことに言葉がでない。胸がふさがれて何も言えない。
やっとのことでAOさんが一言めをつむぐ。「(支援を)10年やりたいです」
席のむこうから返事が返ってきた。「やろう」

細々と活動が始まった。

被災地支援団体 aoSORAntって

2011.5.15立ち上げ。
立ち上げ時の名称は「美味しい食べもの届け隊」だった。
コアメンバーは6人。代表、事務局、食材担当、ウェブ担当、広報2名。現在の関係者は約200人。
これまでに集まった寄付金およそ500万円。
基本ミッションは地震被害を受けた人たちへ美味しい食事を届けること。
特徴は関係者が飲食業界に特化していること。
確かな料理を提供する有名店や良店ばかりが参加していること。
支援目標年数は少なくとも10年。

協力賛同して活動してくれているメンバーは、ミシュランの★がつく一流店のシェフたち、著名なフードライターたち、良い食材を提供してくれる生産者さんたちが多い。そういった方々へ、AOさんたち事務局メンバーが丁寧に直接話して繋いで運営している。とても地道な人脈まわりである。
また、メディアへの露出、掲載してもらう雑誌などに対して慎重な姿勢をとっている。
自分たち団体は震災を踏み台にした売名や金儲けは、絶対にしないと決めているから、だそうだ。
たとえ誤解だろうと売名行為と受け取られては、賛同してくれているシェフたちに迷惑をかけてしまう。絶対に避けなければならない事態である。人の協力なくして運営できない。人のために細心の注意を払ってることが見て取れる。

1年経過

インタビューしたのがちょうど3月だったので、いくつか質問をしてみた。

被災地の人々の様子は?

何もすることがない、から、人として暮らせるところまで回復した。
でも、生活保護レベルが復興とは思わない。
自分が被災者だったら、食べて寝る場所がある程度で復興と言われたらたまらない。
今はただの足がかりの段階。復興のきざしであることに間違いないけれど、道のりはまだまだ長いと承知している。

この1年でやるべきことは?

・娯楽の提供
震災直後とは違って、今はあったかい食べものも作ったりできるようになった。
芋煮やおでんより、普段食べれない料理が食べれるうれしさ、娯楽の要素としての料理を提供するかたちになってきた。

・仮設住宅のコミュニティづくり
広いエリアから集まっているため隣人が誰かも知らない交流のなさ、共同体のまとまりがない現状。
炊き出し活動をイベントにして人を集めて、お酒をのんでもらって…、
住人たちがリラックスして接点を持つチャンスを作ってほしい、と現地の支援センターから希望をもらっている。

・一次産業の盛り上げ
もとから一次産業の町だから、住人もやりたいと望んでいる。
どう協力できるかはまだ模索中。お金がかかる案になってしまい、なかなかむずかしい。

僕の気持ち

AOさんの率直な気持ち、活動の根っこにある想いを伺ってみた。

社会的に料理業の認知度がアップするといいな

フランスでは子供たちは憧れの対象としてシェフをみつめる。
それと比べると日本での社会的認知度はまだそれほど高くない。
被災地支援活動が認知されながら、シェフという仕事の認知もアップすればいいな、と願っている。

それぞれで支援をしてくれたら

これまで活動に協賛してくれたシェフたちは口を揃えて「何をしていいかわからなかった知り合えてよかった」と言ってくれている。
自分たちの活動をきっかけに、支援したいと思った方がそれぞれで支援を行えるようになれば、と思っている。
この先10年かけて活動するうちに皆が少しでも支援に興味を持ってくれたらありがたい。

これまで感じていた疑問をぶつけてみた。

なんでそこまでできるの?

「なんとなく、言葉にできない後ろめたさから解放されたい気持ちがあるんです。
活動することで許しに似たものを得ているような。」

自分で働いたお金で食べているとはいえ、何か不遇なことがあったら出来なかったことだという認識がある。
不登校の子たちの家庭などを見たりすると、なかには、生まれや境遇を恨んで親を憎む子たちもいるのだ。しかし自分はそうではない。収入を得ることができ、美味しいものを食べることができる。でも実は、それは怠惰なのだ。ただの享楽であり、何も残らないという考えが震災前から頭の中にあった。頭のどこかで、ムダだなと思っていた。やめなかったけれど。

「それが被災地支援というかたちで、自分の持つコミュニケーションや人脈を活動に還元できてます。AOさんが行くならと言ってくれるひとがたくさんいるんです。正直、うれしいです。」

10年先

10年って長いですね。

「あっというまの1年だったから、これをあと9回やるだけ。」彼は言う。
なぜなら支援活動は少なくとも10年継続させる計画だから。もしかしたら20年。

なぜ10年?

「阪神大震災が完全に収束したな、と思えたのが10年くらいだった。こういう活動は長く続かないものなんだけど、それはもったいないなと昔から思っていたんですよ。自分も大学院の頃から調査を兼ねたボランティアをやっていて、ボランティアにはやっかみがつきものだと知りました。でも同じボランティアを10年続けたなら文句も言われまい、と」

なるほど、根本治癒のための時間。

aoSORAntのこれから

資金の継続的調達が課題。
料理教室やチャリティディナーの開催も行っている。

銀座のフレンチ数店が共同開催するチャリティーカレーイベントの売上金を団体へ全額寄付してくれることが決まった。
活動を続けるには継続的に資金を得なければならないが、メンバーの財産は切り崩さないポリシー。
活動初期に試してみたが、たちまち「こんなにしているのに」と驕る気持ちが発生してしまうと気づいたそうだ。

AOさんは、代表という団体の重要な役割を担っている。
友人の立場で言うと、支援活動の先の長さに、体力気力は持つのだろうかと少し心配になる。
彼は「1年で6キロ増えました」と笑っていたけれど。
上手な分散と運営方法を編み出す必要がある。クサい言い方だけれど、あなた一人のカラダではないのよ、と思った。彼がいなくなったら、団体はバランスを崩しかねない。

エピソード

■さめやすく熱しやすい日本人
うまくすればまた熱はもてる。優しい人種だから。
さめていく世間を目の当たりにしての発言なのに最後には「優しい人種だから」という言葉がでた。
AOさんこそ優しい人じゃないか、と思った。

■シェフ
震災支援に皆とても協力的な人々。
なぜなら、もとから人に喜んでもらうことが好きで、美味しいと言ってもらえることにエネルギーをかけられる人たちだから。
シェフのもとへ支援の話をしにいくと、地震被害に対して自分がやれることがわからなかった、ずっと協力しかった、ありがとう、と言われるのだそう。

■なぜシェフ?
長時間労働で薄給で過酷な修行して、それでも生き残って名をあげた人たちは、情熱があるひとたち。レストランなんて全く儲からない。高い材料費と、丁寧にするほどかかる手間。レストランをやっているのは、ただ人に喜んでもらいたい、という気持ちがとても大きいから。

これにもAOさんのレストラン愛がうかがえる。

協力するシェフは、お店の営業を24時近くに終えてから合流する。そのまま車で現地に向かい、一日支援活動、そして夜また東京に戻り、翌日は朝早くからまた仕込み作業を始める。料理業界に生きる一流人は精神力も体力も並みじゃない。

■ボランティアの立場の難しさ
日本人の性質として、政治家や芸能人や思想に対して清廉潔白であることを求めるところがある。お金にからむ人、からまない人などの差は許されない。清く正しくあらねば、わずかな誤解でも即座に批判対象となる。

■いつか被災した日のために
大阪名古屋エリアに支援協力店を開拓中。
その理由は相互援助のコミュニケーションネットワークづくりのため。
もし関東が大きな地震に見舞われたときには助けてもらい、もし関西が被災したら自分たちが助けにいく。
10年先まで活動するからこその視点だ。
ゆくゆくは全国規模に広げて互助ネットワークを作りたいのだそう。

そうなのだ、私たちだって明日どうなってるかわからない。

おわりに

2012.3.11を節目にいくつものボランティア団体が活動停止した。
「終わることを責めるつもりは全くないけれど、1年の支援では風邪の消炎剤ていど。治すなら根本から治していきたい」とAOさんは言っていた。支援維持には大変な体力と根気づよさと時間の捻出がいる。金銭も必要だ。そうそう続けられるものではない。

被災地支援ボランティア活動に取り組むAOさんは、いまもなお、消えることのない情熱をともしつづけ被災地支援の課題に立ち向かっている。ときどき、疲れて大儀そうな顔をのぞかせる時もあるけれど、つらいこともあるようだけれど、いつでも気持ちの根っこは変わらない。1年経った先が本当の勝負。彼の強みを活かした被災地支援はなにしろ最低でも10カ年計画なのだ。いや、もしかしたら20年、もっとずっと? このくらいで潰れては先の見通しが立たない。自分に課したこの責務を果たすことを最優先に、いま生きている。もちろん本業もこなしながら。

この1年、私が彼の団体に出来たのは募金と物品寄付。その程度が私個人の限度だと思っていた。しかし今回、AOさんと話すうちに、ネット関連の知見を活かした情報提供や協力に可能性を感じた。個人的にとてもうれしく有意義な発見だった。継続的支援のために何かカタチにしたい。なんでいままでできる可能性についてちゃんと考えていなかったんだろう?ごめん。

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